マイナス霊の種類とその影響
はじめての救霊
救霊ってどんなもの?

深見東州先生の著書の救霊(除霊)に関する箇所
「大除霊」  第三章 瞬間に開運する大除霊 より
大除霊

●なぜ救霊(除霊)が必要なのか。

私がこの本で述べようとしていることは、必要以上に霊に関心を向けず、しっかりと正しい学問を積み、その学問に基づいて正しい信仰力を身につけることが大切なのだということ。そして、日々の平凡な生活の中で、進歩、発展、調和をめざして常に努力し、目前のただ今ただ今を一生懸命生きることである。そうすれば、その努力する心と姿勢に守護霊も感動して大きく働き、悪霊を追い払ってくれるのだ。そのような人は知らず知らずのうちに除霊ができていて、ますます進歩、発展、向上し、神様の願う人物になれる、というわけなのである。

言われてみれば、ごく当たり前のことだ。どこに目新しいことがあるのか、と思われることであろう。

実は、そのとおりなのだ。私がいっていることはごく平凡で、ごく当たり前のことなのである。

しかし、人生の真理というものは、そうしたごく平凡で当たり前のことの中にこそある。難解な哲学書や宗教書の中に真理が眠っていると考えている人が多いだろうが、決してそうではない。日常のごく平凡な一瞬一瞬に、永遠の真理が隠されているのだ。そして、それを発見して実践している人が、達人と呼ぶに値する人なのである。

が、悲しいことに、そうした達人を世に見い出すことはまれである。難解な書物の中に真理を見いだそうとして、かえって泥沼の中にはまり込み、混沌の世界に魂を迷わせている人がほとんどなのだ。観念を固めてしまうこうした学問のため、ますます御魂を曇らせ、悪霊のとりつく隙をつくってしまっているのが現状である。

しかし、まだ真理を探究しようという姿勢のある人はいい。真理なんかどうでもいい、愛や誠なんてどうだっていい、今が楽しければそれで十分だ。こう考えている人がほとんどなのである。だからこそ、意志の中に中心支柱が定まらないで、悪霊にやられ霊障に苦しむこととなるのである。ところで、神道の大祓祝詞の中に、「下つ岩根に宮柱太しき建て・・・・・・」という言葉があるが、これは、単に固い岩盤の上に宮柱を建てて建築をするという浅い意味ではない。「しっかりとした精神のもち方の上に、よしやるぞ、という大いなる意志の力と信念の柱を打ち立てれば、それこそが、神様がお降りになる宮柱となり、私たち一人ひとりが神を宿す神の宮となるのだ」という、深い意味が込められている。こうなれば、悪霊にやられないどころか、ご神霊をも宿すようになるのである。

だがしかし、前述のような生活を長く続けてきた人は、なかなか想念とその生き様は変えられない。自力で一切を転換するのは、もはや不可能に近い。ちょっとやそっとの努力では、進歩、向上、発展を求め、自分をギリギリまで高めようとする姿勢は生まれてこない。なぜなら、長年の習慣の中に悪霊がすでに巣をつくり、御魂を何重にも取り巻いているからである。

実は、私はそんな人のために除霊をしている。御魂を取り巻く悪霊の雲を断ち切るために除霊をしているのである。


だから、除霊を受けると少しの努力でも想念を容易に変えられるようになる。マイナスの方向にしか考えられなかった人が、ちょっとした努力でプラスの方向にものを考えられるようになるのだ。

そして、そのようなプラスのものの考え方、プラスの人格面を維持していると、自然に雑多な悪霊も寄せつけなくなる。

「大天運」でも書いたように、その人とその人の家のもつ本来の劫の大小があるので、除霊をしたからといって必ずしもすべての人が即座に病気が治ったり、性格が変わったり、人生が好転するわけではないが、それでも、医師や友人や家族がびっくりするほどの奇跡的な回復と変化をきたすケースも少なくないのである。